2022年、レース生活52年目に賭ける熱い思い
見果てぬ夢・72歳の挑戦
小学校5〜6年生の頃、鈴鹿を走る“生沢徹”に憧れ、18歳高校卒業と同時に「遠い夢棄てきれず故郷を捨てた、穏やかな春の陽射しが揺れる小さな駅舎、別離より悲しみより憧れは強く、寂しさと背中合わせの一人きりの旅立ち・・・」“サライ”の歌そのままの心細くもあり、夢いっぱいでもあり、複雑な気持ちで鈴鹿に近いというだけの理由で名古屋に旅立ちました。
そして、1970年鈴鹿でデビュー以来、50年以上走り続けてきました。今までに出場したレースも320戦余りになります。「ワークスドライバー」を夢見て陸送業をしながらの、鈴鹿での6年間。病に倒れ、限界を感じ一度はサーキットに背を向けながらも、故郷のサーキットでアマチュアの頂点目指して何時も前ばかり見ながらの生活でしたが、今振り返ってみると、体制的にも恵まれず、全てが上手くいった年など全くといって良いほどありませんでした。悔しさに唇を噛み締めた日々がほとんどでしたが、顔を上げれば多くの仲間たちの顔と祝福が待っていました。その中で今は、走り続ける事が出来たことを心から幸せに思います。これしかないと思う!のは誰も同じ、だから謙虚でいたい。自分のテクニックはまだまだ不十分、発展途上、だからこの先もっともっと上手くなりたい!速くなりたい!という気持ちは変わる事がありません。決して若くない私ですが、今後の目標は、現役にこだわり続け、アマチュアドライバーとしての頂点を、人間的にもテクニック的にも極めたい、それを達成するには今まで以上の困難と厚い壁が私を待ち受けているはずです。近年のモータースポーツ活動に伴う資金の増大さゆえに、どれだけ多くの若者がレース界から去って行った事でしょう。私自身も何度も夢を諦めかけましたが、多くの人の理解を得、助けを借りて走り続けてまいりました。
これからもモータースポーツを通じて人間的にももっと大きくなりたい、チャンスを活かせる人間になっていきたいと思っています。アマチュアに定年はありません。鈴鹿を初めて走った時のあの感動をいつまでも忘れないで走り続けたいと念願しています。
レーサー生沢徹に憧れて
テツ清水というレースネーム
プリンス・スカイラインで鈴鹿を走る“生沢徹”に憧れ、レース界に挑戦するきっかけを与えていただいたスーパーヒーロー生沢徹(いくざわ てつ)さん。
現役のうちに一度でもいいから生沢さんと耐久のペアを組みたいという夢を見続け、亡くなった娘にも生沢さんの娘さんと同じ「舞」という名前をつけさせていただいた。
レース活動が思うようにいかない時期(1997年ごろ)には、ついにレースネームを本名の清水忠行から『テツ清水』という名前に改名し、少しでも彼に近付きたいという気持ちを表した。