No.589 横浜町の不気味な緩衝緑地 sanbuichi-koji, 2025年11月8日 昨日出光興産の徳山事業所長や総務課長と同じテーブルでの懇親会だったので、「1973年の爆発のことはご存知ですか?」と聞いたら、まだ生まれたばかりぐらいの歳で、実感はないと言うことだった。あの大爆発で当時の横浜町の100世帯以上が移転して、移転した後の住居跡は工場の「緩衝緑地」になった。 このエリアが最近(結構前から)樹木が大きくなりすぎてあまりイメージの良くない場所になりつつある。今日あらためて現場を見てみた。 結構長い直線。ここを一人で歩くのは少し気持ち悪い。 公衆トイレもあるけど、逆にこんなところにトイレがあったら防犯上絶対良くない。 公園のような場所も設けてあるが、こんなところ絶対に人は寄りつかない。以前横浜町の自治会長に、「あのエリアをみんなで整備して、子どもたちが安全に遊べる場所にしない?」と提案したこともあるが、何やら町内にあるけど自治会では手が出せない場所ということを聞いた。明確な理由もわからず、いつも悶々としていたので、昨日は同じテーブルに藤井市長がいらしゃったのでこの件も「なんとかならないんですか?」とお願いしてみた。その場ですぐに秘書を呼び、しかるべき部署に投げかけて調べてもらって回答をいただけることになった。市長に直に何かをお願いできる機会なんて滅多にないので、こんな時に遠慮してはダメなのだ。 日々の感想