No.493 徳高ラーメン10年の歴史、そして… sanbuichi-koji, 2025年8月4日 今週土曜日の岐山会総会で「運動会アーチの歴史の動画と徳高ラーメンの動画を流したいんですけどお願いできますか?」と当番期から頼まれていたもう一つの動画「徳高ラーメン10年の歴史:岐山会総会バージョン」を編集してみた。 このタイトルバックを表紙に持って来たかった。ここに名前を書かせてもらった故:渡辺佐世子さんは、自分が現役の高校生の頃から徳山高校の事務室で働かれていて、同窓会担当を50年以上も一人で担当されて、岐山会のことなら何でもわかる!生き字引みたいな方だった。自分が独立してデザイン事務所を立ち上げて、縁あって岐山会報編集委員となり同窓会にどっぷりと関わるようになってからは、何かにつけて応援してくださった。面白いことを考えることが何より好きな自分が「徳高ラーメンを復活させたい・・・」と企画した時も、もう手放しで『三分一さんそれいいよ〜〜〜〜〜〜〜絶対やろう』と学校側の調整を全部引き受けてくださって、さらに1年目の2010年の大晦日に徳高ラーメンを開店した日にも家で作った「ネギ」を大量に持ってきて厨房で延々とネギを切ったりラーメンの調理を手伝ってくださった。結局10年間徳高ラーメンを続けられたのも、渡辺さんの協力がなかったら絶対にできなかった。 10年間の大晦日の徳高ラーメンの動画を編集した数年前は、まさか渡辺さんがお亡くなりになるとは思いもしなかったが、見直してみると毎年必ず渡辺さんは厨房にいて全力でラーメン作りを楽しんでくださっている。自分は、徳高ラーメンを復活させようとした時から、絶対に当日は現場でラーメンは自ら作らないと決めている。記録をしっかり残すことを最優先していつもカメラを回している。結果的に今見直してみると、10年間の徳高ラーメンの「成長」の様子が手に取るようにわかるし、渡辺さんの元気な姿も…。実は徳高ラーメンは自分と12期先輩の善甫さん(総料理長役)と、もう一人の3名で立ち上げた企画。6期後輩の竹島君も当初は映像にふんだんに写っているのだが、竹島君も2年前に急逝してしまった。そして徳高ラーメンの企画をすごく楽しんで毎年大晦日には必ず帰省してラーメンを食べに来てくださっていた日本ユネスコ協会の事務局長の寺尾先輩、寺尾先輩は毎年二杯必ず完食!されるくらいラーメンの復活を喜んでくださった方だけど姿が見られなくなったと思ったら急逝された。寺尾先輩も映像に残って自分の記憶の中からは永遠に消えない。この方達との思い出もあるので、自分で編集した動画だけど、毎回涙なしでは観られない。 ちょうど10年でコロナになり、徳高ラーメンも消滅するだろうな、と半ばきらめていた昨年、なんと現役の高校生が『徳高ラーメンやらせてください!』と学校に交渉して徳高祭で実現させてしまった。もちろん協力は惜しまなかったのだけど、若い力に刺激されて本家・徳高ラーメンも5年ぶりに復活することができた。 土曜日の岐山会総会では、10年間プラス5年ぶりに復活開店した徳高ラーメンの歴史、約10分間の動画を会場で上映する予定。 高校の同窓会活動は数多あると思うけど、手前味噌だけどこんなに『全員が幸せになる企画』は無いと思っている。笑顔の記録は「生の映像」でしか残せない。徳高の同窓生じゃなくても、この動画を観たら感動してもらえると自信を持って言える10分です。 日々の感想