No.590 52年前の記憶 sanbuichi-koji, 2025年11月9日 ネット時代でなんでも写真や情報を調べたら出てくる時代になっても、あの出光の爆発の写真や映像はほとんどネットで出てこない。 さんざん調べて「危険物新聞」という新聞の昭和48年8月25日号の記事の中に唯一この写真が掲載されていた。当時小学5年だった自分の記憶からは絶対に消えない事故。1973年の7月7日の午後10時13分に起きた大爆発だけど、その日の事故の「兆し」があったことを覚えているから。友達3人で横浜町内の出光の社員寮付近で夕方遊んでいると、工場から「ガーン、ガーン」と普段聞いたこともないような音がして、煙突から真っ黒い煙を出していた。まさかその日の夜中に大爆発を起こすとは・・・という出来事があったので良く覚えている。そして夜の11時ごろ親から「起きてみろ!空が真っ赤だぞ」と寝ていたのを起こされた。家の中にいても外が真っ赤。外に出て、出光の工場が見渡せる高台に登ると、町内のほとんどの人が集まっていた。もうあれだけの大爆発を見ることは生涯無いだろう。例えると、ウルトラマンと怪獣が戦って街や工場が大爆発する描写、あんな大爆発ってほんとにあるんじゃ〜と思った。「ドーン!」「バーン!」という爆発を一晩中繰り返して本当に怖かった。結局火災が鎮火したのは1週間後。毎日「燃えている出光」を見ながら小学校へ通っていた。妻の実家も横浜町で、もう大爆発したプラントの超至近距離、多分数十メートルしか離れていない場所だったので、相当怖かったに違いない。(今は緩衝緑地になっているエリア) そんな大事故なので、記録写真や映像も残されていないわけないと思うのだが、ネットで検索してもまず見つからない。52年前の事故の記憶も、覚えている人がだんだんいなくなる。 日々の感想