切り替え sanbuichi-koji, 2024年4月12日2024年5月12日 61歳で人生で初めての政治活動に足を踏み入れた。 ごく普通のサラリーマンの家庭に生まれ、大学卒業後に普通に会社に就職しサラリーマンを経験し、結婚をして子どもが二人生まれ、一軒家を建てて住宅ローンを抱えた直後に将来のことを真剣に考え、35歳で独立した。 その3月31日まで前職の業務引き継ぎ残務を目一杯やって、終礼で本社のみんなの前で退職のご挨拶をさせていただき、最後の言葉は「いつかこの会社から仕事のオファーが来るように頑張ります」。 普通なら、しばらく失業保険をもらいながら次の準備をするのが賢いやり方のはず。しかし自分は翌日の4月1日開業、退職してから数時間後に「三分一幸治デザイン事務所」を立ち上げて活動を始めた。なんか最初から忙しかった。開業以来、自分で営業したことは20年間くらいほとんど無かった。 ただ、デザイン業界に参入した当時の自分は、めちゃくちゃとんがっていた。何のバックボーンも親の七光も無い一匹狼なので、群れるのは嫌い、新人だけど舐められたら終わり、もう今は仲間と話していても恥ずかしくなるくらい「あの頃は三分一さん怖かったよ」って。相当無理していたと思う。 自分の好きなことを仕事にできたから動きに動いてどんな小さな仕事も断らない、常に100%、早い、安い、キレイ、しかも美大卒でもない自分のデザインは完全独学、クライアントの想像を超える企画力とアイデアと、普通のデザイン力で自分の生きる道を見出していった。 とはいえ、サラリーマンを経験したのも、大学受験に失敗して私大に進んだからで、本来は教育学部に進みたかった目標には当分蓋をしていたのだが、デザインの仕事を始めてしばらくして商業高校の非常勤講師、さらにもう1高講師の依頼、さらにデザイン専門学校の講師、今も職業訓練校の外部講師と。一生懸命やっていると、先生になる夢も実現できてしまった。 社訓ほど大袈裟なものはないけど、スタッフには「自己主張」「バランス感覚」「体力」を常に言ってきた。クリエイターに必要な要素はデザインのスキルだけでなく、時代を読む力とアイデアの引き出しの多さとユーモアのセンスと人付き合いの良さと全力で遊べる体力が持論。 政治活動は、今の所そのほとんどが当てはまりそうにない。頭を完全に切り替えないと気が狂いそうになる。 でも泥臭く歩くことは何の抵抗も無い。サラリーマン1年生の時は、毎日100件訪問していたので、その頃に戻ったと思えば良い。慣れないネクタイだけは毎日締めて、気持ちを切り替えるスイッチにしている。 三分一幸治について 過去を振り返って