日本海軍の極秘施設 sanbuichi-koji, 2024年6月1日2024年6月1日 まだ股関節が痛いので走りたいけど我慢して朝歩く。せっかくなので歴史の検証をしながら。 みなさん「周南緑地公園」の由来をご存知でしょうか。周南市の公園の面積の4割を占める広大なエリアです。こんな贅沢な緑地は今から作れと言っても絶対に無理でしょう。公害防止を目的に、当時急速に開発が進んだ周南団地と工業地域の緩衝緑地帯として整備された緑地帯です。公害防止事業団が施工し、国や県、旧徳山市、企業が事業費を負担しました。多くの樹木が植えられ、陸上競技場、野球場、総合スポーツセンター、テニス場、プール、サッカー場など様々な運動施設が整備されています。 今日は、この緑地公園に現在ただ1か所だけ残る戦時中の遺跡『日本海軍の極秘施設:大迫田地下油槽群のタンク壁』を確認しに行きました。 この現在周南東緑地公園となっているエリアは、戦時中は徳山第三海軍燃料廠(現在の出光コンビナートの場所)の極秘施設の地下タンクがありました。直径88メートル、地下10メートルの巨大な地下タンクには、重油5万トンが貯蔵可能で、この地下タンクがエリア一帯に12基作られていて、あと4基作る途中で終戦を迎えました。 ※出典:山口県文書館デジタルアーカイブ 徳山燃料廠は戦時中国内最大級の燃料施設で、アメリカ軍は早くからこの情報を詳細に把握していて、昭和20年5月10日にはB-29約200機が襲来し、1時間に3500発もの爆弾をここに落として徳山燃料廠及び徳山の市街地は壊滅しました。後にアメリカ軍はこの燃料廠の北側にも不自然な形状があり、それが地下タンクだとわかって爆撃準備を進めたらしいのですが、地下タンクは田畑に艤装されていたため発見が遅れ、その間に終戦となったようです。もし終戦が遅れていたら、徳山の街のカタチ自体も全然変わっていたと思います。 今は全くその面影はありませんが、実は1ヶ所だけ地下タンクの壁が残された場所があるのです。 サッカー場のさらに奥のアーチェリー場の向こうに見えるコンクリートの壁。 近づいてみると、微妙に湾曲しています。このコンクリートの壁が直径88メートルの地下タンクを構成していた壁の唯一の名残と言われています。 Google Mapで見るとわかりますが、そこだけ不自然に円の一部が残っています。壁の上から見てみようと思いましたが、墓地との間の密集した樹木で近づけませんでした、残念。 現在、この壁の前には巨大な野犬捕獲のワナが鎮座しています。こんなミエミエの檻で野犬が捕まるのでしょうか? ちなみに今日も野犬はグランドの中央に3匹確認できました。なぜ野犬はグランドの中央にいると思いますか?ワタシの想像ですが、野生動物は敵に襲われるのを360度察知できて、すぐにどこにでも逃げられるように広い場所を選んでいるのだと思います。人間なんかには絶対に捕まえられません。 墓地のあちこちにも野犬が悠々と暮らしています。目が合っちゃった。 少々長くなりましたが、全国的に有名な野犬生息地である周南市東緑地公園(大迫田緑地)は、日本海軍の極秘施設の匂いをかすかに残す歴史的な場所なのでした。こんな場所が探せば周南市にはいくらでもあるので好奇心の旅はまだまだ続きます。 日々の感想