三分一家の痕跡を発見 sanbuichi-koji, 2025年2月18日 工藤先生の講演会の会場で購入したDVD『語りつぐ徳山空襲〜映像3部作』の中のアメリカ軍が撮影した映像(動く映像)の中に、ハッとするものを発見した。 B29の空襲で壊滅的に破壊された大浦油槽所が、終戦後の1946年4月9日に、アメリカ軍の飛行機から低空で撮影されていた。その映像の最後の方に発見したもの。 まさに、現在の横浜町に父親が家を建てて引っ越す前に住んでいた櫛ヶ浜大浦の家だった。自分が生まれる前の65〜6年前までこの家に住んでいたはず。幼少の頃、父に一度だけ連れてきてもらったことがある。その時はまだ祖母が一人で住んでいた。祖母が戦時中の疎開で台湾(花蓮港)にいた時に父が生まれ、戦後引き上げて大浦で暮らしていたことは父に聞いて知っていた。台湾の話も小さい頃よく聞いていて、いつか台湾に父を連れて行ってやりたい、と思いながら結局その想いは実現できなかった。今思うと本当に残念(泣)。 ↑現在のGoogleMapの画像。ここの場所にも何度か行ってみたことがある。出光興産徳山事業所の大浦門のすぐ手前、道に面した場所に家があったはずなのだが、門の跡のようなものだけが残っていた。50年以上前の記憶だけが頼りだったが、三分一家のルーツは確実に残っていた。 日々の感想