街の姿。 wizzplanning, 2013年2月8日2024年4月8日 当然と思っている街の風景も、数十年単位で激変している現実。 今の周南市の市街地の姿があるのは、不幸にも戦時中の徳山大空襲があって、市街地が壊滅したのがきっかけ。 資料によると、もともと徳山は戦前から都市計画区域の指定があったが、なかなか進まずにあった。そんな時に徳山大空襲で市街の中心部108万坪が焼失。大被害だったが、その反面で根本的な都市計画事業をするには絶好の機会を得たというのが皮肉な事実。 昭和21年に山口県復興事務所が設置されて、理想都市建設を目標とした戦災復興都市計画土地区画整理事業に着手。そして昭和33年に現在の土地区画整理が完成した。 焼け野原から現在の街の姿になるのに実に12年がかかっている。 人の1世代の間(約60~70年)に、街の姿が1回転するのだとすると、今はまさに次の街の姿になるための時期かもしれない。 そんな風に少し大きな視点と俯瞰で街の姿を予想すると、チマチマ小さいことばかりやってる場合じゃないことがわかる。 あと10~20年の間には、この街の姿が一変することは必然事項なのかもしれないから。 未分類