登山が趣味になったきっかけ wizzplanning, 2023年6月19日2024年3月13日 サラリーマン時代にレーシングチームを立ち上げたのが約30年前。 当時は山口県にMINEサーキットがあって、モータースポーツ全盛の時代だったので自分としては広告宣伝の一環として社内レーシングチームを立ち上げ、アマチュアのモータースポーツ参加の醸成やサーキット内でのイベントを行っていた。 その当時にチームのドライバーとして起用したのが「テツ清水」こと清水忠行さんで、若い頃からプロのレーシングドライバーを夢見たが身体を壊し夢破れたが、アマチュアのままレース活動を続けている方。過去には鈴鹿サーキットでのシビックレースのチャンピオンも獲得していて実績は申し分無い方だった。1995年の私が監督で参加したレースでも清水さんドライバーで優勝し、貴重な貴重な経験をすることが出来た。 脱サラしてからも時々連絡を取り合う程度のおつき合いだったが、昨年「来年もレース活動をしたいから力を貸してくれないか?」と相談があり、「?」清水さん俺より一回り年上だから72歳ですよね?まだ走るんすか!!!!もうビックりするやら感動するやらで、そうは言ってもレースをするためには資金面とか、いろいろ大変な問題があるけど取り敢えず自分ができる範囲で協力し、再度監督もすることにした。 そして2023年のシーズン前にして、レーシングカー の新しいカラーリングデザインも担当し、実車の施工をする日となった。 このカラーリング施工を行った工場が防府市の右田。テツ清水氏が72歳でも現役ドライバーでいることが出来ているのが10数年続けている「右田ヶ岳」の登山トレーニングで、私も清水さんのFacebookで登山トレーニングのことは知っていたが、一度も右田ヶ岳に登ったことがなかった。 レーシングカーのカラーリングを1台丸ごと施工するのは結構な重労働で、中腰のまま延々と作業するので腰が悲鳴をあげた。いつも清水さんから「三分一さんも右田ヶ岳登ろうよ!」と言われたいたので、この日は作業中の腰のリハビリのつもりで「清水さん今から右田ヶ岳に登ってリフレッシュするから付き合って!」と気軽な感じで二人で登ることにした。 正直右田ヶ岳を舐めていた。最初の右田ヶ岳は、、、途中でギブアップ。腰の状態が疲労困憊だったのを言い訳にしたく無いが、想像以上のハードな山で結構なショックだった。 と、ものすご〜く長い前置きになったが、この時、山を嫌いになっていたら二度と登山はしなかったかもしれないが、この経験が悔しくて、それ以降ひとりで右田ヶ岳にチャレンジするようになった。右田ヶ岳に通い始めると、こんなに楽しいことが世の中にあったのか!と思うほど登山は自分に合っていた。しかも右田ヶ岳は難易度が違うルートが4コース、その中でもさらに微妙にルートがあるので全然飽きない。 1月の終わりから右田ヶ岳にハマり、もう毎週末は右田通い。 右田ヶ岳の魅力はまた別記事にて! 未分類