父が母を呼んでいる。 wizzplanning, 2016年4月28日2024年4月9日 葬儀に会葬することは多いし、自分の信念として、身内親戚以外でも友達や知り合い、お世話になった方の近い方が亡くなった際には、とにかく通夜や葬儀の会場に駆けつけることが第一優先。その大切さは結婚式の比ではないと思う。 今回、肉親の喪主を経験して、あらためてよくわかった。 年老いてしかも介護される期間が長かったので、父個人的には付き合う範囲もごく狭いし、親族だけの範囲の小さな葬儀でいいんじゃないん?と身内は言っていたんだけど、最期だからこそ賑やかに送りだしてやりたい思いがあって、ある程度自分の付き合いの近い方々にも少しだけ連絡させていただいた。 実際には会葬していただいた方は、通夜にしても葬儀にしても、神妙な顔でお経を聞いて焼香をするだけなんだけど、故人を知っている方にはもっと父との想い出を聞かせていただきたかったし、明るく送りだしてやるような演出が無い事が「葬儀=悲しく辛い」という催事にしている理由のような気がする。 しかも、肉親の喪主を務めるような経験は結婚式と一緒で一生に一度か二度あるか無いかの催事なので、勝手が分からず葬祭場の言う通りに事を進める場合がほとんどだろう。 自分の場合、今週の月曜日に父親の葬儀の喪主を努めることに。特に父が門徒になっている徳応寺という「超変わった」寺での葬儀に、普通でも信心深くない方なので今までの仏事の価値観が全部ひっくり返るような経験をした。 今後も法事の予定が延々と続くのも大変なことだけど、ウチの両親は本当に仲良かったので母親の状態が秒読み段階になってきた。父の初七日を迎えないうちに母の葬儀が立て続きに…になると思う。 なので、葬儀に関してはズブの素人からいきなり全部知っているベテラン状態。 母は若い時から社交的で超オープン、顔も広かったので、母の「その時」にはもっと盛大に賑やかに送りだしてやりたい。 あまりにも非現実的な出来事が続くので、今日は何日なのか何曜日なのかもわからなくなった。 未分類