遠石八幡宮の禰宜さんで友人でもある黒神直大氏から、彼のおじいちゃんのことが書かれた伝記「人間 黒神直久」を頂いた。
黒神直久氏は第6代徳山市長として昭和27年から昭和36年まで、当時の市政に伝説的な功績を治められた方という事は何となく知っていた。 当時だから出来たのか、いや、黒神直久氏だから出来たのだと思うが、市政のスケールが半端無く大きい。
今では周南市の街の一部として何の違和感も無い出光の石油化学コンビナート。
元々海軍燃料廠だった数十万坪の広大な土地を民間に払い下げようという発想も当時の黒神市長の公約のひとつで、その経緯もこの本に克明に描かれている。当時は住民からものすごい反対運動が起こって、根気よく説得して回られたということも記されている。 あまりにもスケールが大きすぎて政策すべてが驚くべきものなのだが、この他には、当時も市にはお金が無いので新たな財源を確保するために「モーターボート競争」という、公営ギャンブルを持ち込んだこと。
これも猛反対の風を押し切って実現させ、結局開設半年で建設費を回収して以降は徳山市の貴重な財源となり、結果的にはこの財源があったから動物園などの新しい施設が実現できたらしい。
山口放送(当時は株式会社ラジオ山口)の開局にも大きく貢献されている。 政治がダイナミックでスピード感がある。