10年前の自分に少しだけ勇気づけられた wizzplanning, 2011年7月26日2024年4月6日 昔、勢いで仕事をしていた頃、結果的に他のデザイナーの仕事を取ってしまうことになる事もあった。(最初から知っていたら絶対にそこには踏み入らない。) そして実際に文句も言われた。「お前オレの仕事取るなよ!」だって。 クライアントから仕事を直接承けたんだからいいじゃないですか、とは言ったものの、非常に後味の悪い思いもした。 地方でデザイン事務所をやる難しさは、継続的にデザインの仕事を受注できるクライアントが少ない事と、1社集中になる危険性。大口のクライアントは良い時も悪い時も、影響をモロに受けてしまう。1社専属のために連鎖倒産したデザイン会社なんかザラだろう。 しかも、何年も専属で使って頂いているクライアントだからって油断するとすぐに「隣の芝生」が青く見えてしまうものなのだ。 飽きさせないための「引き出し」は常に準備しているつもりだが、デザインは「手」が変わると雰囲気だけは変わるから。 偶然といえば偶然だが、昨日自宅に「10年前の自分」から手紙が届いた。山口きらら博の会場で「10年後の自分宛」に出すハガキコーナーがあり、そこで出したものだった。 こんなことを10年前の自分は書いていた。 10年後の三分一幸治様 2001年9月23日現在、ウイズ・プランニングとして独立して5年目、40を目前にして超多忙な毎日を送っています。 はたして、このハガキが届く時、グラフィックデザイナーとしての自分はどうなっているのか? 社会に対して、どのような貢献をしていますか? 会社を起こしているかな? (あとは家族に向けてのメッセージなので省略) まさに勢いで仕事をしていた時だ。「超多忙」って今だったら絶対使わないし絶対に言わない言葉を書いちゃっている。禁句だ。あまり廻りも見えていないかも知れない。 でも社会に貢献したいという気持ちだけは今と一緒なので少し嬉しい。 多分他のデザイナーが関わっているクライアントの仕事も知らずにどんどんやっていた頃だ。 今、逆の立場になった。 もう15年もデザインの仕事をやっているので、クライアントが増えれば増えるほど1社1社のフォローが知らず知らずのうちに疎かになる事は否定できない。しかもスタッフが減った分、自分の負担も非常に増えた。でも仕事の質は、年齢を重ね経験を重ね、昔よりも格段にこだわっているという自負がある。 悔しいよね、こういうのは。 情けなくて涙が出そうだ。数少ないレギュラーの仕事だよ…。 でもすべて自分で受け止めなきゃ。 こういう事があると逆に燃えるのだ。 49歳は厄年か? 今日優しくされたら多分鳴いちゃう。 ※注:一部また過激な表現があったので翌日そこだけはカットしました…ああ未熟。 未分類