運動会の写真に対する思い wizzplanning, 2005年9月16日2024年3月29日 娘の中学校のPTA広報部の次号の打ち合わせが今日からはじまった。 まずは先日の運動会の時に、私が炎天下で一日中広報部として撮影したスナップ写真450枚をお母さん方に見てもらった。 子どもの一生懸命がんばっている表情や、競技に真剣に取り組んでいる表情を切り取る「写真」の凄さを、先生を含めて一般の人はあまり認識がない。 型にはまったカメラ目線の写真などは、人が本当にカメラを意識しないで見せる一瞬の表情に比べたら屁みたいなもので、この一瞬の表情を残せるかどうかの差は、カメラを構える者の気合い以外の何物でもない。 だって、失敗したからもう一回走って!という訳にはいかないのだから、たかが子どもの運動会とはいえ、クリエイターの血が騒いでしまうのだ。 当初、運動会の記録として撮影した写真集をPhoto CD化して販売してPTAの事業費の足しにしようと計画したが、学校からストップがかかり、中止せざるをえなかった。 とにかく学校というところは、前例のないことをやろうとすると腰が引けるし、今だったら「個人情報」がどうのこうの、特定の生徒が移っている写真が流出したらまずい…と、すぐに個人情報保護法がなんたるかも本当に理解しているかどうかあやしいのに、その言葉を出せば済むくらいに思っている。 私が撮影した今回の写真を見れば、そんな目線で撮影しているのではないことは絶対に分かってもらえる。 特に最後の得点発表の時などは、優勝チームのみんなが感激の余り泣いているのを間近で見て、思わずファインダーを覗きながら私も涙が出そうになった。そういう瞬間を残してあげること、その瞬間を切り取って、永遠に大事な思い出として残せるのは、一枚の写真しか出来ないのだ。 自分で振り返っても、この写真は完璧に撮れたとか、この写真は本人にあげたら喜ぶだろうな、とか思ってしまう。 そして失敗した写真などは、もう二度と同じ写真は撮れないだけに、その子に対して申し訳なく思ってしまう。 あまりにPTA活動に徹しすぎて、我が子の写真がほとんど取れなかったことについても、父親としてはどうなんだろう…と、自己反省する今日この頃なのだ。 未分類